Celebrate the 30th anniversary of Higashiko Furuuchi.A new work "Body temperature, beating" that plays the current thoughts of life -size in Piano Trio
1990年代に“恋愛の神様”、“恋愛ソングの女王”と称されたシンガーソングライターの古内東子が30周年イヤーの幕開けを飾るデビュー日の2月21日に、通算19枚目のオリジナルアルバム『体温、鼓動』をリリースした。【動画】古内東子 『動く歩道』 Music Video (Short Version)2018年10月発表の前作『After The Rain』以来4年半ぶりのアルバム、デビュー30周年記念プロジェクト第1弾となる本作には、由縁のある6人のピアニストを迎えた新曲7曲に、デビューシングル「はやくいそいで」のセルフカバーを加えた全8曲を収録。恋と愛の歌を書き続けてきた彼女に30年の歩みを振り返ってもらうとともに、6人のピアニストの魅力も聞いた。■好きなことを好きなままでいられた30年──まずは、2月でデビュー30年目に突入した心境から聞かせてください。決してあっという間ではなかったですね。10年、20年はあっという間で、“そんなにやっている感覚はないですね”みたいなことを言っていたんですけど、30年はやっぱりさすがに重みがある。菅田将暉さんが、私がデビューした日のお生まれなんですけど。──えー! そうなんですね。1993年の2月21日生まれで、ちょうど30歳らしくて。お会いしたことはないんですけど、彼が生まれてから現在に至るまでということを考えると、すごい年月を重ねてきたんだなって思いますよね(笑)。──どんな30年でしたか。限りなくマイペースにやらせてもらっているので、好きなことを好きなままでいられた30年だったと思います。いろいろありましたけど、結果的には音楽を好きなままでいられた。今も続けていられるのは好きだからこそ、だと思います。──その“好き”は、音楽を作ることですか? それとも歌うこと?私の場合は“作詞作曲をする”というところからスタートするので、まず、そこがつまらないなって思うと、すべてがつまらなくなってしまうと思っているんです。だから、作詞作曲が面白いと思えなくなったら、やめるときだなとはデビュー前から思っていたので、自分の中でストレスにならないように、枯渇しないように避けてきたというか……。──この30年で一回も煮詰まったことはないですか?もちろんありますよ(笑)。でも、長期で枯渇する、煮詰まるということはあんまりなくて。掘り下げて掘り下げてどうにか出そうとするとダメなのが自分でもわかっているので、今日は調子が乗らないなと思ったら、違うことをするようにしていますね。──ということは、嫌いになってしまったということはないんですね。“嫌い”はないですが、“仕事だな”って思いそうになったことはあります。もちろん仕事ではあるんですけど、自分の趣味からスタートしているものなので、楽しみな部分もないといけないと思っていて。ただ、デビューしてちょっと経ったくらいの時期は、周りが泣けるバラードを求めているんじゃないかと思い込んでしまって。自然に出てきたものを歌にしていたはずなのに、どうにか期待に応えようっていう勝手なスパイラルにはまってしまったことはありました。求められているものを出そうとすると、どうしても自分の中にギャップが生まれてしまうから。──みんなが求めるものに応えようとして、自分の本質を見失いそうになってしまうっていうことですよね。そこはどうやって乗り越えましたか。その当時はもがいて終わりでしたね。大きいエスケープというか本当の意味での小休止を、2005年に3ヵ月間ニューヨークに行くことでしているんですが、その間は曲も作っていないし、歌も歌っていない。自分の仕事や曲を作るということから少し距離を置くと、そんなに周りが求めていたわけでもなかったな、自分が勝手に思い込みすぎていただけなのかもなということに気づいて。そのときに自分が好きな曲を書いて、みんなを納得させられるだけのものができれば良いのではないかと思えるようになりました。そうやって、見方や考え方の角度を少し変えることができるようになるために必要な時間を得られたことは良かったと思っています。■大人のピュアな恋愛感情みたいなものがほとばしって出てきた──“恋愛の神様”や“恋愛の教祖”って言われていた時期はどう捉えていましたか?滅相もないという気持ちが強かったですね。20歳でデビューしたので、聴いてくださる方には年上の方も多かったんです。だから、おこがましいなっていう気持ちが強くて。私の場合、ラブソングではあるけど、“頑張ろう”というメッセージがあるわけでも、答えに導いてあげるような曲でもない。自分自身も恋愛のことでリアルに悩んでいたし、“ああでもない、こうでもない”って、100パーセントわかるはずもない相手の気持ちを詮索する堂々巡りみたいなものをいつも抱えていたので、共感してもらえるということは、同じような想いをしている人がいるってことなので嬉しいことだなと思います。──代弁者という表現の方が近いかもしれませんね。年齢を重ねていくうえでラブソングの書き方や恋愛観には変化がありましたか。私はいつも“等身大”と言っているんですけど。でも、“等身大”と言うと、自分のリアルなストーリーを描いていると思われがちなので(苦笑)、“等身大”という言葉はもしかしたら違うのかもしれませんが、年齢は関係がなく、自分が思っていることをそのまんま飾らずに、っていう意味での等身大ですかね。この年齢だと、結婚や子供のことに触れられることも多くなりましたけど、そこは私にとっては関係がなくて(笑)。──楽曲制作とは繋がっていないんですか。私の場合は、びっくりするほど切り離せちゃうというか。かといって、曲の題材のために恋をしなきゃって思っているわけではなくて。それはそれ、これはこれって感じで。想像したり、気持ちを持つのは自由で、行動に移すかどうかは別の話であって。──子育てが、作詞作曲のインスピレーションに繋がることはないですか?子育ては、日常でいちばん時間が取られるし、気持ちも持っていかれるし、そうあるべきことだと思うので、絶対的に生活の中心にはあるんですけど、今のところは繋がらないですね。今回、4年ぶりのアルバムでゼロから曲を作り始めたので、正直何が出てくるのか、自分でも出してみないとわからない状態だったんです。でも、蓋を開けてみたら、意外と大人のピュアな恋愛感情みたいなものがほとばしって出てきて。ママ視点の歌を……書くとはもちろん思っていなかったですけど、出なかったんですよね。出してはいけないと意識していたわけでもなくて。だから私は、そういう感情と作詞作曲は繋がらないんだと思います。■ピアニストへのリスペクトとピアノという楽器への感謝──“ほとばしる”とおっしゃったとおり、心の内に秘めた、かなり濃厚な想いが表出したアルバムになっていますが、楽曲はテーマは決めずに書き出すんですね。いつも決めないですね。ただ今回は、ピアニスト6名と、ピアノトリオで、っていう音のコンセプトが最初にハッキリとあって。ピアニストの人選も決めてから曲を書き始めたので、どの方にどの曲をということも考えながらの作詞作曲ではありました。念のために言っておくと、ピアニストの方たちは歌詞の内容には関係なくて(笑)、あくまでサウンド面でのイメージを考えながら作っていきました。──どうしてピアニスト6人を迎えるというコンセプトにしたんですか。30周年のアルバムというところで、自分の30年を振り返ったときに、いろんなミュージシャンの顔が浮かんできて。その中でもやっぱり、私は自分でもピアノを弾きますし、作曲もピアノでやるので、ピアノという楽器はなくてはならないものだし、その楽器を自由自在に操るピアニストの方々を特別視しちゃうところがあって。リスペクトの想いからそういう人たちをフィーチャーして、ピアノという楽器への感謝も込められたらと思いました。ピアノをいちばん美味しく輝かせるために、ピアノと歌だけという選択肢もあったんですけど、それぞれの裸の個性が鮮やかに出るのが、ドラムとベースを足したピアノトリオじゃないかなと思って。しかも、ドラムとベースの方は固定で、結果的に皆さん同じスタジオで同じピアノで録ったんですよ。──同じピアノなんですね。それは、緊張するというか、他の演奏者のことを意識しちゃいますね。なんだか大会みたいな形になっちゃいましたね(笑)。私が直接それぞれにオファーをしたんですけど、皆さん“喜んで”とおっしゃってくださいましたが、やっぱり緊張感はあったと思います。──では、6人のピアニストの方々を古内さんからご紹介いただけますか。1曲目「虜」は、最近のライブでサポートしてもらっている井上薫くん。彼は、それこそ私のデビューの年、1993年生まれなので、当然、当時のことはまったく知らないんですけど、90年代のJ-POPが好きで、誰よりも聴いていて。繊細なピアノを弾かれるし、すごく刺激をもらえる人ですね。──続く「夕暮れ」は、2008年からライブのサポートメンバーでもあった河野伸さんです。ピアノソロがハードバップ風でカッコよかったです。彼には丸ごとプロデュースしてもらったアルバムもありますし、アレンジもたくさんしてもらって、一緒によく飲んでもいる(笑)、いちばん密で近い存在。だからこそ、どの曲をお願いしようかなって結構迷ったんですよね。でも、河野さんのドラマチックな部分とクールでスタイリッシュな部分の両方が活きた形で、すごくカッコよく素敵に仕上げてくださいましたね。──その後の「体温、鼓動」はイントロからどジャズのムードです。私が書くので、ピアノトリオというジャズっぽい編成にしたところで、ジャズっぽくできるとは思っていなかったんですけど、世の中にポップスで変拍子というのもそんなにないなと思っていたので、ひとつの挑戦として5拍子の曲を書いてみようと思ったんです。草間信一さんは、若い頃のことですが、ライブをやったあとにみんなでボーリングに行ったりとか(笑)、遅くきた青春みたいな感じを楽しく過ごしていた仲間のひとりで、ジャズクラブでも活動されて、どジャズをやっている方なので、すごくこの曲がハマりましたね。──この曲がアルバムのタイトルになっていますが。月並みなんですけど、ここ2年くらいのコロナの状況下で、最初の頃は“前みたいに早く戻りたいね”って言っていたのが、もう元には戻らないということもわかってきた。昨日の当たり前が明日は当たり前じゃないかもしれないっていうことを経験するなかで、みんな人生観や考え方の変化が少なからずあったんじゃないかと思うんです。それは私にもあって。突き詰めると、周りの状況はどんどん変わっていくけど、“自分が何を思うのか?”、それしか確かなことはないのかなって。だって、自分の感情だけは嘘じゃないから。そういうブレない気持ち、今の気分が一番出ている曲だし、今だからこそ出来た曲という意味で、この曲の濃い部分でテーマみたいな言葉である“体温、鼓動”をタイトルにしました。嘘のない、内に秘めた情熱みたいな意味ですね。──「時はやさしい」は、ラテンですね。松本圭司くんも薫くんと同じで、ここ最近一緒にやっていて。実は、圭司くんと薫くんにはリハで顔を合わせる機会があったので、どんな曲をやりたいかを事前に聞いたんですよ。そこで圭司くんが「王道ではない、トリッキーなものをやりたい」と言ったので、これを書きました。彼のピアノは、聴いているとこちらも楽しくなっちゃうくらい自由で、彼に合っていると思います。──「動く歩道」では、恵比寿にある動く歩道を連想しました。私もそのイメージでした(笑)。恵比寿ガーデンプレイスのイルミネーションに後ろ髪を引かれるように、“もっと一緒にいたいな”っていう気持ちを引きずりながら、駅に連れていかれる。正直、“動く歩道”って、あってもなくてもいいものじゃないですか?(笑)私はひとりだったら、その上を歩いてしまうんですけど、“今だけはこの遅さが”って感じられるのが、恋をしている人の心情そのものだなって思ったんです。この曲は、レコーディングをしているときに、森俊之さんをはじめみんながそれぞれのプレイを褒め合いながら、とにかく現場が盛り上がった曲だったんです。そのシーンが私の中では印象的だったので、リード曲にしました(笑)。──続く、「だから今夜も夢を見る」の中西康晴さんとの付き合いも古いですよね。古内さんの代表曲「誰より好きなのに」も中西さんです。そうですね。“中西さんなくして私の曲はない”という時代がありましたね。本当に何を弾いてもらっても素晴らしくて。以前、中西さんに「ピアニストは誰が好きなんですか?」と聞いて「レイ・チャールズが好きで、ブルースが好きだ」って言っていたことを思い出して曲を作りました。ソロがすごいパワフルで、“真打登場!”っていう感じがしましたね。■“出会いが財産”。そんなことを改めて感じられた制作──そして、6名のピアニストに並んで、「この夜を越えたら」でご自身のピアノ演奏も。並んじゃいましたね(笑)。弾き語りというのをこの15年くらいで急にやり出したんですけど……私にはアマチュア時代というものがなくてライブの経験がいっさいないままデビューしたので、ライブというものに苦労したんです。ツアーを回ってようやく何かが掴めそうになっても、次のライブは1年後とかで間が空いてしまう。そうなると、毎回緊張が解けないし、ライブが楽しいっていうところにはなかなか到達できない。それが嫌で、毎月ライブをやりたいな、と思ったのが15年前で。そのためにひとりでもライブができるように弾き語りを思い立ちました。昔は、弾き語りは、歌もピアノも両方どっちつかずになる感じがして難しいことだと思っていたんですけど、多少おぼつかなくても、より伝わるものがあることに気がついたんです。手作りのものを手渡される感じというか。もちろんお店のものには敵わないんだけど、それなりの良さがある(笑)。それでやっと、ライブって楽しいなっていうところまでいけたんです。MCも含めて、近くにいればいるほど楽しいという境地に至った、その延長線上に「この夜を越えたら」はあります。──弾き語りライブに近いスタイルなんですね。1番はピアノと歌のみですし。ライブでやることを想像して、弾き語りしている自分を思い浮かべながら作った曲でもあるので。ほんとは弾きたくはなかったんですけど(笑)、“弾き語りをいっぱいやってきたじゃないか!”って自分を鼓舞して臨みました。でも、レコーディングのときに、小松秀行さん(ベース)とTomo Kannnoさん(ドラム)が「ピアノだけでいいんじゃない?」って言い出したので、「どうかそんな意地悪言わないでください」って必死でお願いして(笑)。結果、ベースとドラムが支えてくれて、すごく気に入った一曲になりました。──アルバム最後にはデビュー曲「はやくいそいで」のセルフカバーが収録されています。セルフカバーを1曲入れようという話になって、デビュー曲なら面白く変化を出すことができるかもと思ったんです。しかも、河野さんなら素敵に生まれ変わらせてくれるはずと信じてもいました。ピアノトリオというハードルはあったんですけど、ポップな部分も若干残しながら、30年の年月を感じさせるような、“大人になったんだな”っていうところを聴かせてくれる絶妙なアレンジになりました。──ご自身では当時の歌詞を見てどう感じられますか?今、歌っていてもそんなに恥ずかしくないなと思います。恥ずかしい曲っていっぱいあるんですけど(笑)。本当に、全曲を通して、ベースとドラムのお二方も含めて素晴らしい人たちに支えてもらって完成したアルバムで。“出会いが財産”ってよく言いますが、そんなことを改めて感じられた制作で、純粋に楽しかったです。皆さんも気合いを入れて納得いくプレイをしてくださって……これもよく言うことですけど、“みんな違ってみんないい”(笑)、みんなのカッコよさも出た作品になったと思っています。30周年にふさわしいアルバムになりましたし、華々しくお祝いしてもらった気分です。──最後に、ブルーノート東京でのライブも控えていますがいかがですか。ニューアルバム『体温、鼓動』の曲をやる予定なんですが、ライブは、ピアニストは松本圭司くんと井上薫くんのツインキーボードで、バンド編成になります。このアルバムを聴いてからきてくださると、より楽しめると思いますし、私自身もどんなライブになるのかがとても楽しみです。INTERVIEW & TEXT BY 永堀アツオリリース情報2022.02.21 ON SALEALBUM『体温、鼓動』ライブ情報JCB Presents Toko Furuuchi Live at BLUE NOTE TOKYO2022.03.02 ブルーノート東京Toko Furuuchi Live 20222022.03.21 名古屋 BLcafeプロフィール古内東子フルウチトウコ/高校生のときに姉のDX-7を拝借しているうちに作曲に目覚める。その後、レコード会社に送ったデモテープがデビューのきっかけとなり、1993年にシングル「はやくいそいで」でメジャーデビュー。以降、恋と愛の歌を書き歌い続け、20歳で始まったアーティスト人生は来年30周年を迎える。
THE FIRST TIMES編集部