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Jul

宮崎薫、父・ASKAの事件で経験した過去を経て芽生えた“使命”「言葉が凶器ではなく愛や感謝を伝えるものであるように」

宮崎薫、父・ASKAの事件で経験した過去を経て芽生えた“使命”「言葉が凶器ではなく愛や感謝を伝えるものであるように」

 宮崎薫、父・ASKAの事件で経験した過去を経て芽生えた“使命”「言葉が凶器ではなく愛や感謝を伝えるものであるように」

2012年から活動を続けているシンガーソングライターの宮崎薫さん。 音楽活動の傍ら、ラジオパーソナリティーも務めるなど幅広い活動をしていた彼女が、今年2月、世界で広く配信される動画配信サービス「Netflix」内の恋愛リアリティーショー「ラブ・イズ・ブラインド JAPAN」へ出演。その中で、自身の父親について言及したことによって、とても大きな注目が集まっています。 その注目の中、楽曲「Karma」を3月中旬にデジタルリリースすることを発表。また、そのミュージックビデオ制作のためのクラウドファウンディングプロジェクトを実施中であることがアナウンスされています。 今回は、そんな彼女に、音楽活動について、恋愛リアリティーショー「ラブ・イズ・ブラインド JAPAN」への出演について、そして「Karma」という楽曲制作とは切っても切り離せない父親のこと、デビュー10周年を迎える心境、そしてこれからのこと…。様々なことについて伺いました。ーー音楽に囲まれた環境で育った宮崎さんですが、一番影響を受けたジャンル・アーティストなどありましたら教えてください。 クラシック音楽、映画音楽、ポップス、ロック…、たくさんのジャンルを聴いてきましたが、人生で一番聴き込んだアルバムはBackstreet Boysの「Millennium」と「Black&Blue』でした。【関連】宮崎薫、父・ASKAのことと誹謗中傷に苦しんだ過去から生まれた曲に込めるもの「同じ想いをする人が一人でも減って欲しい」当時私はまだ10歳11歳でしたので、かなりおませな小学生だったと思います(笑)。周りに洋楽を聴いている子は少なかったですし、2000年代はとくにJpopシーンが盛り上がっていた頃だったので、少し変わった小学生だったかも知れません。通学に1時間かけて通っていたので、CDプレイヤーは私の一番の友達でした。CDをたくさん入れたケースとプレイヤーをリュックに入れて、その時の気分でアルバムを選ぶのが通学時間の楽しみでした。今では単曲で音楽を聴くことが当たり前の時代になりましたが、アルバムを通して1曲目から最後まで聴いていた頃が懐かしいです。聴き込んだアルバムは、次に流れる曲の歌い出しのタイミングやキーまで、完璧に身体が記憶していました。そんな時代にコーラスグループにどハマりしていたので、メロディーラインが綺麗なものを好んで音楽を聴くことが多かったように思います。今でも曲作りをする時はメロディーラインに時間をかけることが多いので、やはり私の音楽人生の中でこのルーツは切り取れないものだと思います。 ーー大学時代からピアノとギターで作曲を始められたとのことですが、当時からプロ志望として曲作りを意識されていたのでしょうか? はい。「歌手になりたい」という夢は幼稚園の頃からありました。小学生になっても中学生、高校生になっても音楽の道へ進みたいという意志は一度も変わったことがありませんでした。高校1年生のとき、初めてバンドを組みました。その時はキーボードとコーラスでサポートメンバーという形でしたが、ライブの空間に魅了され”私も歌いたい”という気持ちが強くなっていきました。そこから弾き語りを練習する様になり、最初は好きなアーティストの楽譜を買って練習するところからでしたが、オリジナル曲を作り始めた頃からはプロを目指して大きいステージで歌いたいと意識していました。 ーーシンガーソングライターとしての活動以外にも、ラジオパーソナリティー、恋愛リアリティーショーへの出演などマルチに活躍されていますが、それぞれの仕事での気持ちの違いや、意識していることなどはありますか? 正直、それぞれの仕事での気持ちの違いはあまりありません。割とどんな時も等身大でいることが多いと思います。というのも、今回「ラブ・イズ・ブラインド JAPAN」への出演をきっかけに改めて実感したのは「猫かぶれない」ということです。最初は全世界に配信される番組への出演ということで見え方や話し方などすごく気にしていましたが、結局のところいつもの私になってしまうんです。ラジオ番組でもそうです。「みなさん、こんばんは!宮崎薫です」とスタート直後は電話をとる時の様なよそ行きの声なのですが、20分番組の途中からはいつもの少し掠れた低い声になっています。たったの20分もよそ行きモードを続けることができないんです(笑)。唯一、どのお仕事の時も共通して気をつけていることは「言葉」です。ラジオの収録はカットしたり言い直したりすることも出来ますが、ライブやSNSでの生配信、テレビ出演など一度世に発信してしまうと二度と取り戻せません。近年言葉の重みについて世間もフォーカスすることが増えましたが、どんな時も誰かが傷付いたり悲しい思いをしたりするような発言はしないように、と心がけています。完璧にそれが出来ているなんて思っていませんが、意識するのとしないのでは大きく変わってきますよね。 ーー2022年2月からNetflixで配信されている恋愛リアリティーショー「ラブ・イズ・ブラインド JAPAN」に出演されています。出演の経緯などお聞かせいただけますか。 「ラブ・イズ・ブラインド JAPAN」はもともとアメリカ発祥の婚活リアリティー番組です。コロナ禍で活動もできず自宅にいる時間が多かったため、普段見ることのないリアリティー番組に手をつけてみたのが始まりでした。相手の姿を一切見ることなくPODと呼ばれる部屋で「壁越しのデート」を重ねていきます。声のやり取りだけで、相性を見極め、“結婚”というゴールに向かっていく、という話だけ聞くとあり得ないようなカオスな企画です(笑)。番組中でも話していますが、私は長年お付き合いをしていた方がいました。青春のほとんどを一緒に過ごしてきたため、私は俗にいう恋愛偏差値が低い「恋愛下手」です。一目惚れするような事もなく、好意を持たれると関係を進めるのが急に怖くなって避けてしまったり、そもそも好意に気付いてなかったり…(笑)。自分のバックグラウンドのこともあり、知らない人と出会うのが億劫で遊びの場を避けてきた時期があるのも一つの理由です。出演のきっかけは、ある日知人から「ラブ・イズ・ブラインド JAPAN」のオーディションの話を聞いたのですが、その場にいた同級生たちが、「こんな大胆な企画に飛び込まない限り薫は一生恋愛しない!今夜にでも応募するように」と強引に背中を押してくれたことですね。慎重派の私が動画配信サービスの企画に応募して出演するなんて、正直放送された今でも私が一番びっくりしています。 ーー出演の反響も大きかったと思います。反響を実感した瞬間などありましたら教えてください。 実感を一番わかりやすく感じたのはSNSのフォロワーが増えたことです。やっぱり数字で見えるものは分かりやすいですね。出演を伝えていなかった友人や、長年連絡をとっていなかった知人からも連絡がありました。早とちりの「結婚おめでとう!」みたいな連絡もありましたね(笑)。 想像はしていたけれど、全世界配信の力はやっぱり大きいなと感じました。予想以上だったのは”海外からの反響”でした。アメリカ発祥の番組ですので、少しは日本版を見てくれる人もいるだろう…くらいに思っていましたが、一気に増えたフォロワーの7~8割が外国の方であることは想定していませんでした。翻訳サイトを使って送ってくれたんだろうな、というようなDMをもらったり「もっと曲が聴きたい!」と私の音楽に興味を持ってくれる人がいたり。実際に番組が配信になってから、SpotifyやApple Musicで聴かれていた人気曲の順番がガラッと入れ替わりました。今までは古いアルバムがよく聴かれていましたが、番組の配信後は最新アルバムの「The Light」の中から英語と日本語をMIXしてかいた曲が上位に入っています。その点でも海外からの反響を実感しました。これまでもSNSでコンスタントに発信してきた、洋楽のアコースティックカバーにもリアクションが増えましたし、リクエストなんかもたくさん頂けてすごく嬉しいです。 ーーそんな中、2月19日からは、クラウドファウンディング「宮崎 薫 New Single『Karma』MV制作プロジェクト」が始まっています。企画を立ち上げようと思った経緯や込められた思いなど、お聞かせください。 まず「Karma」という曲は5年も前に書いた曲です。意図的ではありませんでしたが、長年温めてきたのには理由があります。今回のプロジェクトから少し話はそれてしまうのですが、お話させて下さい。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、私は二世であり、父はASKAという名前で活動しているアーティストです。2014年、5月。父が覚せい剤取締法違反で逮捕されました。まさに、晴天の霹靂でした。その日を境に自宅の前はマスコミだらけ。一日中インターホンが鳴り止みませんでした。当時していたアルバイト先に行くこともできず、部屋の電気をつけることも出来ない。そんな日々がありました。私たち家族も状況を把握しきれていない中、テレビでは毎日トップニュースに取り上げられ、週刊誌には事実ではないことを書かれ、憶測が一人歩きして事実の様に世間に広まっていくことに苛立ちや悔しさを覚えました。その時に感情を吐き出す様にかいた曲が「Karma」です。かなりパーソナルで主観だらけの歌詞だったので、なかなかリリース出来なかった理由はそこにありました。世間がどう受け止めてくれるか、共感してくれるか自信がなかったのです。「ライブの時だけ歌う曲でもいいのかも」そんな風に思っていました。コロナ禍で悲しいニュースがたくさんありました。誹謗中傷をうけ、命をたった若い方たち。会ってお話したこともないのに、その事実がただただ悲しくて、何日も涙が止まりませんでした。家族と何気ない会話で笑うことも申し訳ない気持ちになったり、街中にいくと関係なしに時間が進んでいる景色を見るのが辛くなったり、SNSを開くのをやめていた時間がありました。「言葉の重み」を改めて考えさせられました。そして去年の夏、番組を通して今まで一度も語ってこなかった父との関係をお話しました。パンドラの箱を開けるような感覚でした。自分の中でまだ整理しきれていない感情でいっぱいの箱。開けることで何が起きるかわからない。そんな不安がありましたが、出演をきっかけにその箱が開き始め、想像していたよりも自分に覚悟と勇気を与えてくれました。今ならみんなに『Karma』を届けられるかもしれない。そう思いました。先ほどお話ししたように海外からの関心も高かったため、デジタルリリースだけで終わるのではなく、ミュージックビデオを制作し世界にも届けたい。そう思ったのがクラウドファウンディングに挑戦しようと思ったきっかけです。誹謗中傷や行き過ぎたメディアの報道は日本に限らず世界に共通しています。この先同じ想いをする人が一人でも減って欲しいという想いと、言葉が凶器ではなく愛や感謝を伝えるものであるように。経験したことがあるからこそ、この想いを伝えることが私がアーティストとして出来ることだと思いました。また、私からみなさんに一方通行に発信するのではなく、みんなで一つの作品として作り上げることによって、世界に届くものになると思いました。みんなで作り上げるパワーは必ず大きなものになると信じています。 ーー今回のクラウドファウンディングプロジェクトは公開当日に100%を達成する驚きの速さとなっています。達成当時のお気持ちはどんなものでしたか? クラウドファウンディングをスタートする瞬間をインスタライブで実況中継をしていたのですが、達成した時は驚きで言葉が見つかりませんでした!その変わりに出たことないような高い声が出ました(笑)。アーカイブを残してあるので是非ご覧になってください(笑)。初めての挑戦だった上に、告知期間も短く、達成する自信があまりなかったので、開始40分程度で達成したときは本当に驚きました。全身から喜びとありがとう、という気持ちが込み上げてきました。改めてサポートしてくださっている皆さん、本当にありがとうございます。クラウドファウンディングをスタートした瞬間から『Karma』はもう自分だけのものではないんだと思いました。みんなで一つの作品を作り上げて、同じ思いで世界に発信していく。必ずいい作品にしようと身も心も引き締まりました。 ーーまだまだ支援が増え続けているクラウドファウンディングですが、制作予定のMVはどんなものになるのか、何かお聞かせいただけることはありますか。 MVのイメージはずっと前から私の頭の中にあったものを撮影チームに伝えました。『Karma』の意味でもある「What goes around comes around」自分の行為、行動は必ず自分に返ってくるということが大きなテーマです。そしてもう一つのテーマとして、いつでも自分が加害者側になりうること。言葉は発信する側と受け取る側で解釈が変わってきます。ここのところを映像で表現していきたいと思っています。みなさんの支援により使用出来る機材が増えたり、いい環境を抑えられたり、当初想定していたものよりもずっとにいいものが制作できそうです。撮影チームも私の思いをしっかりと受け止めて下さり、「みんなで一緒に世界へ届けましょう」と気持ちを高めてくれています。そしてカメラチームの他にも心強い仲間がいます。アーティスト仲間として仲良くしてくれているKIMIKAの存在です。いつもお洒落でファッションが大好きな彼女に今回スタイリストとして、プロジェクトに参加してもらうことにしました。「アーティストとして大尊敬している彼女に裏方の仕事を頼むのはどうなのだろう…」という思いもありましたが、思い入れの強い作品だからこそ、曲に込める思いや背景を知っている彼女に一緒にサポートしてもらいたかったのです。KIMIKAは「私でよければ全力でやるよ」と二つ返事で引き受けてくれました。私は本当に恵まれています。KIMIKAがファッションを通して伝える世界観にも是非注目していただきたいです。 ーー2022年はデビュー10周年となる節目の年でもありますが、デビュー当時から変化した思いや考え方、反対にずっと守り続けている思いなどはありますか? 静かにしておりましたが、そうなんです。ありがたいことに今年でデビュー10周年を迎えます。デビュー当時は右も左もわからないまま、引っ張ってくれる大人の人たちについていくのに一生懸命でした。車のCMソングにデビュー曲が抜擢され、味の素スタジアムで行われた大きなイベントにも出演させていただきました。当時の自分には身に余る経験をさせてもらったと思っています。変化といえばやはり歌詞に変化がありました。「今よりももっとメロディー重視で歌詞は響きの良いものを…」そんな風に思っていた20代前半でしたが、30を超え、大人になった今、歌詞をもっともっと大切にしたいという想いが強くなりました。そしてもう一つ。洋楽畑で青春を過ごしてきた自分のルーツを素直に曲に落とし込むことです。「日本人なんだから日本語で歌え。」そう思う方もいるかもしれません。でも私は音楽という存在は”自由”なものであるべきだと思うんです。自分から湧いてきたメロディーが英語と一緒に出てきたのなら、英語と日本語MIXで曲を書いてみよう。『The Light』のアルバムは今までの概念からブレイクスルーした作品でもありました。こうあるべき、と変に自分の首をしめていた20代の頃よりも今はずっと等身大で活動できていると思います。 反対に守り続けているものといえば、どうでしょう。あまりにも変わったことが多くてすぐに出てきませんでしたが、常に「輝く自分」を心に置くことは昔からイメージしています。迷った時や見失いそうなときに「輝く自分」だったらどうするだろう。理想のかっこいい私はどう選択するだろう、と考えます。そしてその自分を裏切らない行動を常に心がけています。 ーー様々な活動で多忙な宮崎さんですが、日々のモチベーション維持や癒しとなっているものはなんですか? 私の日常をSNSなどで見てくださっている方はピンとくると思いますが、一緒に暮らしている犬(2匹)の存在が何よりも大切な存在です。ただ側にいてくれるだけで、心を満たしてくれます。なんとなく気分が落ち込む日も、作業で煮詰まっている日も、毎日行っている散歩の時間が最高の息抜きになっています。4~50分歩くのですが、その間はスマホも触らず一旦仕事のことは忘れて、わんこと私だけの時間を思い切り楽しんでいます。その時間にどれだけ救われているか…言葉に書き出すとキリがないくらいです。小さい頃から生き物や自然が大好きだった私は、東京らしい派手な遊びをするよりも、遠くへ車を走らせてわんこ達と自然の中で過ごす時間の方が性に合っている様です。モチベーションを保ち続けるのって本当に難しいじゃないですか。もともと許されるならずっと横になっていたいくらいグウタラな性格なので(笑)。高いモチベーションを意地するよりも、”緩”が多めの緩急をつけることが私には合っているなと思います(笑)。その変わり、デッドライン目前の自分の集中力や底力はすごいです(笑)。 ーー今後の活動でやってみたいことや挑戦してみたいことなどはありますか? 先ほどもお話しましたが、私は無類の生き物好きです。そして自然を愛しています。生き物に優しい社会、環境作りをしていきたいという想いで、家の犬の肉球の型をとり、コルクコースターにデザインしたグッズを作り、その収益の全額を動物愛護団体に寄付しています。今後は今までよりもっと動物保護や環境保護活動にも取り組んでいきたいなと思っています。寄付という活動も続けますが、実際に現場に立って何かをしたいという想いがあります。チャリティーイベントで歌うことができたら幸せですし、音楽とは関係のない場所でも積極的に関わっていけたらなと思っています。 ーー最後にファンの皆様へメッセージをお願いします。 最後までこの記事を読んでくださり、ありがとうございます。そしてクラウドファウンディングをサポートして下さった皆さん、重ねてありがとうございます。「ラブ・イズ・ブラインド JAPAN」の出演をきっかけに初めて父のことを語り、皆さんには改めて自分の口から背景や曲に込める想いをお話したく、この度記事にしていただきました。なんだか少し開放された気がしています。これからは応援してくださる皆さんともっと心の距離を縮めていきたいです。コロナ禍でストップしてしまった2年間。この動き出した歯車を止めないように、皆さんに声を、音楽を届けていきたいと思います。まずは3月18日にリリースされる『Karma』からスタートします。皆さんを裏切らない作品を必ず作りますので、一緒に世界に届けてください!また、クラウドファウンディングは3月31日までです。ご支援を心よりお待ちしています。 ※宮崎の崎は立つ崎。

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